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名古屋高等裁判所 昭和36年(ネ)559号 判決 1963年3月29日

控訴人 山田静子

被控訴人 足立潔 外三名

被控訴人(参加人) 足立充

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人の各請求を棄却する。

参加人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ之を三分し、その二を控訴人、その余を参加人の負担とする。

事実

控訴代理人は、

一、原判決を取消す。

二、被控訴人足立潔同足立たねは別紙目録<省略>記載の土地につき名古屋法務局昭和二十六年九月四日受付第二一四〇八号をもつてなされた遺産相続に因る所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

三、被控訴人株式会社永井謙吉商店は別紙目録記載の土地につき同法務局昭和二十六年九月十九日受付第二二七七一号をもつてなされた同日附売買に因る所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

四、被控訴人第一工業製薬株式会社は別紙目録記載の土地につき同法務局昭和三十二年八月二十日受付第二三〇一六号をもつてなされた同年七月一日附代物弁済予約に因る所有権移転請求権保全仮登記の抹消登記及び同法務局昭和三十二年八月二十日受付第二三〇一五号をもつてなされた同年七月一日附手形取引商品取引契約に因る抵当権者被控訴人第一工業製薬株式会社、債務者被控訴人株式会社永井謙吉商店、債権元本、極度額金一千五百万円なる根抵当権設定登記の各抹消登記手続をせよ。

五、被控訴人株式会社永井謙吉商店、被控訴人第一工業薬品株式会社は控訴人に対し別紙目録記載の土地に在る家屋番号第九番木造瓦葺二階建店舗建坪十二坪外二階十二坪及び木造亜鉛メツキ鋼板葺平屋建物置建坪十六坪五合を収去して右土地を明渡せ。

六、訴訟費用は第一、二審共訟控訴人の負担とする。

との判決、並びに第五項につき仮執行の宣言を求めた。

控訴人等代理人、参加代理人はいずれも控訴棄却の判決を求めた。

当事者等の主張並びに立証関係は、左に附加する外、原判決事実摘示のとおりであるから之を引用する。

控訴代理人の陳述

一、足立きんの遺産相続人は足立正雄と河津とめの二人であるが、正雄は精神薄弱者で財産の管理能力なく、妻子もなくて生涯を終り(昭和十九年六月二十九日死亡)又とめも精神に欠けるところがあつて他に嫁することなくて、きんの遺した家屋で正雄と同居していて早く一生を閉ぢた(大正十一年九月十二日死亡)それで正雄の生存中は親戚に当る被控訴人足立潔の祖父と父が、きんの遺産の大部分を他に賃貸し、その賃料を右両名の生活費に充てていた。正雄や、とめは右の有様だつたので、きんの遺産について相続分を認識する能力がなく、又被控訴人濫や、その祖父及び父等は、きんの遺産について正雄が、それを全部相続したと特に誤認することなく過してきた。

しかして、被控訴人等主張のごとく、亡正雄の指定相続人足立晋が昭和二十年三月三十日戦死したため、被控訴人潔が亡晋の財産管理人に選任せられたことは之を認めるが、右財産管理権は、もとより、きんの遺産の二分の一を相続したとめの相続分を、同人から順次相続した控訴人始め訴外池田鍬等六名の相続財産に対しては及ばない。

二、元来相続権の侵害は相続権を有しない者が、相続人として実際上相続人の権利を行使することである。

控訴人潔、たねは足立きんの相続人として本件不動産を管理処分したわけでなく、本件不動産を含む控訴人始め六名の相続分については相続権を侵害せられた事実はない。本件不動産につきなされた右控訴人等の右きんを被相続人とする遺産相続登記は訴外加藤兼吉が潔、たねに無断でその手続をなしたもので当然無効の登記である。

仮に正雄や被控訴人潔その父及び祖父が全産相続と誤解しても、かかる内心的恣意は未だ対者に顕現せらるべき、他人の相続権の侵害なる僣称と云う客観的法律事実にならないから、とめの相続分についての権利に何等の消長を来さない。

従つて控訴人は被控訴人潔、たねに対し相続権侵害を理由として本件抹消登記手続を求めるものでなく、本件不動産の十二分の一の共有持分権に基き本件無効登記の抹消登記手続を求める次第である。

三、仮に、本件は相続回復請求の訴とするも、とめは大正十一年九月十二日死亡して中村静子が同人を相続し、静子が大正十三年九月二十四日隠居して渡辺恒三が同人を相続し、恒三が昭和五年七月二十四日隠居して河津静子が同人を相続し、静子が昭和十一年十二月二十八日隠居して河津きくが同人を相続し、きくが昭和二十一年六月六日死亡して控訴人始め火名の者が同人を相続していて、右各相続人の相続権は夫々一身専属であるから、相続回復請求権の時効期間は夫々の相続開始の時から起算すべきであり、きくを相続した控訴人始め六名の者の相続権については未だ時効期間二十年は経過していない。

四、又民法八八四条に云う二十年の時効期間は権利取得の実体的法律要件を規定したものでない。

五、控訴人は本件不動産につき十二分の一〇共有持分権をもついるから、民法二五二条によつて、本件不動産につき所有権を有しない被控訴人潔、たねがなした登記を始め被控訴人等の本件各登記につき、被控訴人等に対し無効を理由として夫々全部の抹消登記手続を求め得るものである。

参加代理人の陳述

一、参加人は民法一六二条の取得時効を主張することは従来主張のとおりである。

二、又参加人は民法八八四条の相続回復請求権の二十年の時効を援用する。即ち控訴人の本訴請求の実質は同法条の相続回復請求の訴に帰するところ、足立きん死亡当時戸主であつた正雄は、その家族であつた右きんの遺産を単独で相続したものと誤解し、共同相続人も同様誤解し、右遺産全部の管理は右誤解の下に正雄及びその管理人である控訴人潔やその父及び祖父の手によつてなされ、とめ及びその相続人から何等の異議も相続回復の請求もなかつた。従つて右きんの死亡に因りその遺産相続が開始した大正九年七月三日から二十年を経過した昭和十五年七月三日相続回復請求権の消滅時効が完成し本件不動産の全部の所有権は正雄の所有となつた。

参加人は正雄から晋を経て相続に因つて本件不動産の所有権を取得したものである。

証拠関係<省略>

理由

一、足立きんが大正九年七月三日死亡し本件不動産を含む同人の遺産につき足立正雄と河野とめが共同相続人となつたこと、右とめが大正十一年九月十二日死亡して控訴人主張のごとく中村静子、渡辺恒三、河津静子、河津きくが順次遺産相続人となり、右きくの死亡に因り控訴人が他の五名と共に同人の遺産相続人となつたこと及び本件不動産につき控訴人主張のごとき各登記の存することは、一部の当事者間に争がなく又右争がない事実からして他の当事者の関係においても認められる。

二、控訴人は右きんの遺産について、正雄の相続分二分の一は足立晋を経て参加人の充が相続したが、とめの相続分二分の一は数度の相続を経て現在は控訴人が右きんの遺産の十二分の一の相続分を有しているので本件不動産につき十二分の一の共有持分権を有すると主張し、他方参加人は右とめの相続権につき相続回復請求権の消滅時効に因る本件不動産の所有権取得を主張するから、この争点ついて判断する。

成立に争がない甲第五号証の三と原審並びに当審における被控訴本人尋問の結果を合せ考えれば、正雄(明治二十二年七月十三日生)と、とめ(明治三十八年三月五日生)は兄妹であつて、その母きんが大正九年七月三日死亡して同人の遺産相続が開始せられ前述のごとく正雄と、とめは共同相続人となつたのであるが、(1) 当時正雄は戸主であり、とめは年少者(当時満十五才)で兄正雄方にて同人の扶養下にあつたこと(2) とめは正雄方に同居していたもののその戸籍はすでに大正七年に河津憲一の指定家督相続人となつて同人方にあつたこと(3) 正雄やその周囲の者は当時遺産相続の智識に乏しかつたこと等の事情から、正雄始めその周囲の者は右きんの遺産は戸主である正雄が相続したものと早合点し、正雄は元来変質者で独身を通している身だつたので、親戚に当る被控訴人潔の祖父及び父恒三郎が正雄の旨を受けてその財産の管理に当つていて本件不動産を含む右きんの遺産についても正雄の所有として賃貸等の方法にて管理を続け、外観上右きんの遺産は全部正雄が相続人として支配してきて、右きんの相続開始以来二十年以上を経過したことが認められ、甲第六号証は右認定の妨げとならず、その他右認定を左右できる証拠がない。

右認定の事実によれば、正雄は右とめの相続分につき、きんの遺産相続を僣称していたものと云わねばならない。従つて右僣称相続人に対する相続回復請求権は右遺産相続が開始した大正九年七月三日から二十年を経過した昭和十五年七月三日に時効に因り消滅すべき筋合である。

三、しかるところ、控訴人は本訴は所有権に基く訴であつて、相続回復請求の訴でないと主張するから、この点につき検討するに、凡そ如何なる訴が提起せられているかは、もつぱら原告の請求によつて判ずべきものであることは論をまたないところであるところ、控訴人の主張は始め被控訴人潔、たねの本件不動産に対する遺産相続の僣称を云々して、同被控訴人等に対し相続回復請求をしているかのごとく一見せられたが、その後の主張の経過からして、控訴人は、きんの遺産相続人でない被控訴人潔、たねがきんの遺産相続人として、即ち相続人であると僣称して正当相続人の相続権を侵害したと主張しているわけでないことが明らかとなつたから控訴人の本訴は相続回復請求の訴でない。

しかしながら僣称相続人及びその相続人において、正当相続人からの相続回復請求に先立ち、進んで右相続回復請求権の時効に因る消滅を正当相続人に対し主張し得るものと解せられる。

四、又控訴人は相続権は一身専属であるから、とめから相次いで相続があつて、きくを相続した控訴人の共同相続権は未だ時効期間二十年は経過していないと主張するから、案ずるに相続権そのものは一身専属であつて相続権を相続するわけのものでないことは明かであるが、相続回復請求権についても相続人の一身に専属し、相続人の相続人は相続回復請求権を承継したことを理由として、その請求権を行使することができないが、自己の相続権を侵害せられたことを理由として相続回復の請求をすることができるとの見解があり(大正七、四、九大審院判決)仮に右見解に従うとするも、相続回復請求権の時効は、表見上の相続関係の不安定な状態を何時までも持続させないため、侵害の対象となつた当初の相続権につき、その正当相続人のため相続が開始された時から長くとも二十年経過後は、その間に右正当相続人の相続があつても、その一連の侵害された相続関係につき紛議を生じしめない目的に出ているものと解せられる。

五、しからば、とめの相続権に対する侵害に始まる本件相続回復請求権は、きんの相続が開始した大正九年七月三日から起算して二十年を経過した昭和十五年七月三日消滅時効が完成したものと云うべく、従つて控訴人は本件不動産につき相続に因る共有持分権を主張し得ない。

六、控訴人は民法八八四条に云う二十年の時効期間は権利取得の実体的法律要件を規定したものでないと主張するが、正当相続人が相続回復請求権を時効によつて失う結果、僣称相続人は相続権を取得し被相続人の財産上の権利義務を承継する理である。

七、右のごとく控訴人は本件不動産につき共有持分権を有しないわけであるから、右共有持分権を有することを前提とする控訴人の本件各登記の抹消登記手続及び家屋収去土地明渡の請求はいずれも失当として之を棄却すべきである。

八、参加人は本件不動産は参加人の単独所有に属すると主張するから案ずるに、公文書であるから成立を認める甲第一号証、第三号証の二、三、四、前示第五号証の三、原審証人犬飼直良の証言、前示被控訴人潔本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、足立正雄が昭和十九年六月二十九日死亡して被控訴人潔の二男晋が遺言により正雄の指定家督相続人となつたが、晋は応召中であつたので、正雄の財産の管理に当つていた被控訴人潔の父の恒三郎が引続き晋の財産管理に当り、恒三郎が昭和二十年五月隠居後は主として控訴人の潔が右財産管理に当つていて、同控訴人は昭和二十二年二月正式に不在者晋の財産管財人に選任せられたのであるが、正雄及び晋の二次に亘る相続税を納付する必要から右財産管理人として同年十月頃本件不動産を訴外犬飼直良に売渡して税金を捻出し、犬飼は之を被控訴人株式会社永井謙吉商店に売渡したこと、被控訴人潔は犬飼に対する登記手続の一切を司法書士の訴外加藤兼吉に依頼しておいたところ、加藤は足立きんからの相続関係にて容易に登記のできないことを知り方便を案じた末、ようやく昭和二十六年九月四日受付にて本件不動産を足立きんから被控訴人潔、たねに遺産相続に因る登記を経由し、次で同年九月十九日受付にて同被控訴人等から当時の所有者である被控訴人永井謙吉商店に中間省略して直接売買に因る所有権移転登記を経由したこと、及び晋が昭和二十年三月三十日戦死した旨の公報が昭和二十二年十一月十八日届けられ、その後被控訴人潔の三男である参加人充が晋の指定家督相続人となつたことが認めらる。

九、しからば参加人は現在本件不動産につき所有権を有しないから之が確認を求める法律上の利益がなく参加人の本訴確認の請求は失当として之を棄却すべきである。

十、よつて原判決は控訴人の請求を排斥した点は判断が同じであるが、参加人の請求を認容した点は判断が異なるので結局原判決を変更すべく訴訟費用の負担につき民訴九六条、八九条に則つて主文のとおり判決する。

(裁判官 坂本収二 西川力一 渡辺門偉男)

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